マウンテン タイトル マウンテン2

作り手の「手」を追って

interview 01/松本トキ子さん(葛尾村)

「結」と呼ばれる村の人たちとの助け合い、そして夢に支えられて

1937(昭和12)年、葛尾村生まれ。21歳で結婚、子ども二人を授かるが、33歳のときに夫と死別。義理のお母さんと家を守り、そして地域の人々に支えられ、ずっと葛尾村で生きてきた。2011年3月11日の東日本大震災時の東電福島第一原発事故による強制避難で、現在は三春町の斎藤里内仮設住宅に息子夫婦と3人で暮らす。「葛尾村みたいな自然はどこにでもあると思っていたけれど、そうじゃないんです。2月末から3月にかけての雨上がりの寒いとき、五十人山(ごじゅうにんやま)の頂上に、キラキラキラ霧氷が見えた。年に2・3回だけど、あれは神秘的で、きれいだった。いまでも、きっと見られると思います」

幼い頃の「山の暮らし」の記憶と体験。

 松本トキ子さんは、葛尾村生まれの葛尾村育ち。戦中・戦後の食糧のない、交通の便も整わない時代の「山の暮らし」を記憶しています。
 「村で手に入らない魚は、津島(浪江町津島地区)から魚やさんが籠に担いで来たんです。それから、船引(現・田村市)からは馬車が来たし、浪江からはトロッコ列車もありました。戦後しばらくして、車やバスが入るようになってからは、なくなっていきましたけど」
 魚は、旬のものは箱でまとめて買って保存をしていたそうです。秋には、たくさん買ったサンマを、二つに切り砂糖と醤油で煮付けかめにつけ込んで保存をし、冬の間長く食べる工夫もしていました。
 家でお母さんがつくっているようすをみて、自然と料理を覚えていったというトキ子さん。今回紹介していただいた「お煮しめ」は、小さい頃からおばあさんがつくってくれていたもの。おばあさんから、お母さん、そしてトキ子さんへと引き継がれた味です。
 「でも、本格的に料理をするようになったのは、嫁に来てから」と笑います。

 

interview_tokiko_p1  interview_tokiko_p2

きびしい労働も、いまはなつかしい思い出に。

 8人姉妹きょうだいの長女だったトキ子さんは、21歳のときに結婚。農家を継いだ夫とともに、農業に従事してきました。33歳のときに夫をガンで亡くしてからは、子育てをしながら、お姑さんと二人三脚で米、養蚕、牛の世話など、夢中になって働いてきたと言います。
 「一番たいへんだったのは、早朝からの苗引き(田植え)でした。結でやるから、一人だけ遅れていくと、恥ずかしくて入れない(笑)。夜も手元が見える限り働いていましたから、それはきつかったですねえ。でも、不思議といやな思い出にはなっていないんです。仕事はきつくても、それなりに楽しみがあったから。食べる楽しみもありましたしね」
 結のときには、必ず頼んだ家が昼食をふるまう習慣でした。お煮しめをはじめ、おふかしや甘酒、煮魚など、その間は毎日のようにごちそうだったそうです。
 「苦労もしたけど、まわりの人に支えられて生きてきました。それに、子どもという夢がありました。一人ではなかったんです。葛尾村だったから、やってこれたと思います。いまは二人の息子も立派に成長し、本当にすべてに感謝しています」

▶︎松本トキ子さんの伝承料理お煮しめをご紹介

Google