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作り手の「手」を追って

interview 02/髙橋トク子さん(飯館村)

村の女性たちと活動してきた経験を、いまにつなぐ。

 1938(昭和13)年、飯館村生まれ。生家は農家。高校の普通科を卒業後、役場などに勤めるが、23歳のときに農業を営む夫と結婚。昭和50年代から漬け物などの食品加工も行ない、直売所で販売していた。1991(平成3)年には韓国への「嫁と姑の旅」を実現させ、その際に「山のヒノキ、太いのを1本いただいて」旅費にしたという。
震災直後は会津若松市に避難、その後福島市に移り、現在は借り上げ住宅で孫と一緒に暮らしている。震災の翌年に夫を亡くしたが、震災・原発事故との因果関係は認められず悔しい思いも味わった。「飯館村は、野菜も牛肉も牛乳も何でもあって、自給自足のできる、きれいな村だったんだよ」と言う。

村の仲間の女性たちとつちかってきたものを自信に。

 高橋トク子さんは農家の家に生まれましたが、小さいころから農業のたいへんさをみてきたため、農業高校ではなく普通高校に進学。卒業後は役場勤めをし、また高等洋裁学校などに通っていました。「でも、わたしが育ってきちゃったから(笑)、まわりにすすめられて結婚することになったんだね。相手は財産家だから、そんなに苦労しなくてもいいんでねえか、って言われてね」。結婚してからは勤めを辞め、米作りや原木シイタケ栽培などに従事してきました。
 食の思い出は、今回つくっていただいたかしわ餅。昔はどの家でもつくっていて、田植えが終わると、実家への手土産として持たせられたそうです。「でも、早く帰りたいのに、姑さんはなかなかつくってくんねの(笑)。かしわ餅ができあがんないと実家さ帰れないから」
そんなトク子さんが、仲間の女性たちとグループをつくって食品加工を始めるようになったのは昭和50年代でした。

 

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村の暮らしは失われたけれど、その営みはなくしたくない。

「漬け物名人」と呼ばれているトク子さんがつくるものは、たくあん、ゆず入り大根、福神漬け、梅漬け、シソ漬け、キムチなどレパートリーが広く、とりわけキムチは本場のものにひけをとらないおいしさです。それらを村の直売所で売っていました。
 2011年1月にはブルーベリーをジャムにし、販売をはじめたばかり。けれど震災で直売所も閉鎖になり、またトク子さん自身も原発事故によって村を離れ避難生活をせざるを得なくなりました。自宅にもブルーベリー畑がありましたが、「いま、ここはイノシシに掘ったくられてボコボコになってるね。夫が亡くなる前に一度連れて帰りたかったけれど。行かなくてもいいって言って、もう飯館はないとおんなじだって言って亡くなったんだよ」
 現在、トク子さんは仲間たちと、福島市の「あぶくま茶屋」を拠点に食品加工を再開し、「わいわい農園」などで販売することもできるようになりました。村の暮らしはもどりませんが、自分たちが営んできたことをなくしてはならないという思いが伝わってきました。

▶︎髙橋トク子さんの伝承料理
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